情報共有という罠

何でしょう,こう,自分みたいなちっぽけな存在は,その全てをさらけ出して,初めて受け入れられるに値するというか,

ということを以前書いたのですが,これは,実は,誰かに(無理やり)聞かせることによって,罪悪感や謝意や悲しみや苦しみを押し付けて,自分が軽快になろうとしているだけじゃないんだろうかと思う.私のように,自分自身のことを話す人って少ないんですよね,私に話してくれないだけかもしれないんですが.自分で抱え込んで耐えるという力も必要なんじゃないかな,大人として.自分は甘えてるだけじゃないかな.

とすると,今回の件も,小学校時代にまでさかのぼって話を聞かせてしまったお友達には悪いことをしてしまったなぁと.ここで言っても届かないでしょうが,ごめんなさい...*1

*1:と書くこと自体が懺悔という無限ループ